どこにもいかないよ(いけないよ)

自惚れじゃなく、君が泣くから。
って言うのも本当だけど、もう半分の理由がある。

ほんの少しの時間でさえ。

君と離れるなんて、きっと僕の方が耐えられないよ。


「……ん。千鶴?」

目が覚めて、隣にあるはずの温もりを求める。
布団の上を彷徨う手が触れるのは、名残も感じさせない冷たさだけ。

君がいない。

まだ覚醒しきっていない思考が、そんな認識を伝える。
頭なんか回ってない癖に、それを理解するのは早く、僕は跳ね起きた。
乱れた夜着も、ぼさぼさの髪も、気にする余裕なんかない。

「千鶴!? 千鶴!!」

襖を開け放ちながら大声で名前を呼ぶ。
早く、早く返事をして。
ここにいます、といつものように微笑んで、僕を安心させて。
早く。

「総司さん? 私なら、ここにいますよ」

前掛けで手を拭いながら、勝手場の方から顔を出した。
いつも通りの、暢気な笑顔。

「どうしました? また、怖い夢でも見たんですか?」

くすくすと笑う、大切な人。
僕は駆け寄って、思い切り抱きついた。

「よかった……あったかい」

腕の中の温もりを確かめて、ようやく安心する。
生きている、と。

抱きしめるよりは縋りつく、の方が近いぐらい、強く抱いた。
君の体温が伝わる。
けど、それ以上に君の存在で胸が温かくなる。

「どこかに、いったかと思った」

ぽつりと零す。
君がいないと感じた瞬間の、全身の血が冷え切る感覚。
思い出すだけでも怖くなる。
悪夢より、もっと性質が悪い。

「いきませんよ。総司さんを置いてなんて」

可愛らしい声で、優しい口調で、当たり前じゃないですか、と君が笑った。
ほんの少し腕を緩めて、君の目を見る。
昔からずっと変わらない眼差し。
どんな感情を持っていても、いつだって、真っ直ぐに僕を映す。

「私の居場所は、総司さんの隣なんですから。どこにもいかないし……」

そこまで言って、ほのかに頬を赤らめる。
恥じらいの表情。
視線を泳がせたのは一瞬で、瞬きの後にはまた、僕を見つめる。

「総司さんのことだって、どこにもいかせません」

無意識、無自覚。だから怖い。
いつの間にか僕をこんなに夢中にさせておいて、まだそんな殺し文句を言うなんて。
君の手が、僕の背中に回されて、今度は君に抱きしめられる。
不覚にも涙が流れたのを気づかれたくなくて、再び強く引き寄せた。

とくん、とくん。

きっとこれは僕の鼓動。
早すぎて、君に気づかれてしまいそうだ。
何も言えない僕に、腕の中で君がまた笑う。

「それより、総司さん。朝起きたら、他に言うことがありませんか」

当たり前の、かつての僕には想像もできなかった平穏をくれる。
止め処なく溢れる涙にも、幸福な理由をくれる。
君に、愛しさが募る。

「おはよう、千鶴。愛してるよ」

君にあげられるものは、僕しかないから。
抱きしめる腕を緩めても、決して離しはしない。

頬に手を添え、いつものように触れ合った。

「おはようございます、総司さん」



どこにもいかないよ。いけるわけがないよ。
僕はこんなにも、君なしで居られないんだから。
お互いに、互いを捕らえていよう。

僕らが最後まで笑って生きていられるように。