どうしてこんな痛み俺に教えたんだ

平助の目にはまだ眩しい夕暮れの庭で、千鶴が笑っている。
その視線の先には、同じように朗らかに笑う永倉の姿。
以前から、度々見かける光景だった。
はずなのに、光の所為でも発作でもなく、胸が痛む。

「千鶴!」

平助自身が思っていたよりも荒い声音に、千鶴が怯えたように顔を上げた。
大きな瞳が、どことなく不安げに揺れている。

「おいおい、平助。何ピリピリしてんだよ。千鶴ちゃんが怖がってるじゃねーか」
「うるさいな。別に新八っつぁんは呼んでないんだけど」
「んだと」

全くの八つ当たりだと分かっていても抑えきれない平助の言葉に、永倉が気色ばんだ。
その腕に、千鶴がそっと触れる。
永倉を諌めるためだったのだろうが、今の平助の目には苛立ちを募らせるものでしかなかった。

「千鶴!! 呼んでんだから、こっち来いよ! それとも俺がそっちに出なきゃならないのか!?」

最初に呼んだよりも更に強い声に千鶴の肩が跳ねる。
永倉が怒りを露わに口を開きかけ、千鶴に目を向け、やるせない表情で平助を睨んだ。

「平助! てめー、後で覚えてろよ!」

千鶴に何事か言われたのだろう、永倉はそう言い捨てて表へ出て行った。
残された千鶴が、ほんの少し困ったように微笑んで縁側へ近づく。
茜色に染まる眩しい世界から、薄藍色に陰る場所へ踏み込んだ。

「おはよう、平助くん」

見上げる瞳に映る平助の顔が、切なげに歪んだ。
と同時に伸びた手のひらが、千鶴の頬を包んで上向かせる。

「え? なぁ、に」

元々大きな目が更に見開かれた。
重ねられた唇から痺れのような感覚が広がる。
ん、という背筋がぞくぞくするほど甘い吐息が耳を擽る。

「こういう時は、目ぇ閉じるもんだろ」

ごくわずかに唇を離して、常より低い声音で平助が囁いた。
まっすぐで少し不器用だけれど優しい、少年らしい平助しか知らなかった千鶴は、その艶に驚愕と困惑を見せる。

「あ……の……平助、くん。どうし、」

どうしたの。そう訊ねるはずだった言葉ごと、再び平助の唇に閉じ込められた。
濡れた舌が唇を舐める。熱いようでひやりとした感触。
けれど、不快ではない。寒気に似た快感のやり場に困り、千鶴はきつく目を閉じた。

「……ばに、……って」

ふと離れた一瞬。掠れた声で呟いた。
泣き出す寸前のような声音に、閉じた瞼を開ける。

「……傍に、いるって……言ったじゃん」

吐息が交わるほど近くで、平助が千鶴を見つめる。
不安げに揺れる眼差し。泣きたいのを堪えているような表情に、千鶴の方が泣きたくなった。

「……いるよ。平助くんと、一緒に……いたい」
「ならっ!」

叫びかけた言葉を飲み込んで、きつく千鶴を抱きしめる。
華奢な肩に顔を埋めて、平助は自身の子供じみた独占欲を自嘲した。

なら、他の男と話すな。

なんて、無茶苦茶だ。わかっているのに、腹が立った。
あの時千鶴の隣にいたのが、永倉でなくても同じだっただろう。
日の光の下で笑える人間ならば、誰でも。

「……平助くん」

そっと平助を抱き返して、千鶴が穏やかな声で言った。

「……一緒にいたい、って思うのは……平助くんだけ、だよ……」
「なんだよ……それ」
「えっと……言いたくなった、だけ……かな」

言い聞かせるような言葉に、子ども扱いでもされたようで悔しくて、だけどそれを気づかれたくもなくて。
つっけんどんに返した平助に、千鶴は困ったように、きっと照れたような苦笑を浮かべて、答えた。

「……どうして、お前は……」

俺の欲しい言葉がわかっちまうんだ。

「え?」
「……何でもない」

本当は、そんな言葉を言わせるべきじゃない、ってことくらいわかってる。
なのに言われて喜んじまう。

「あ、あのね……さっきは永倉さんに、」

大方、頼まれごとでもしたんだろう。さすがにそのくらい察しはついていた。
けれど。
千鶴が可愛らしい声で、おそらく笑顔で、他の男の名前を呼ぶのは、それだけで嫌なんだ。

言葉の続きは、口付けで奪った。触れる柔らかさや、温もりだけが、胸の痛みを癒してくれる。
だから、触れずにいられない。


もう、太陽の下で一緒になんて、笑えない。自分が隣にいないのに、他の男と笑わないで。
そんな身勝手な願いさえ抱いてしまう。制御できない感情。

どうしてこんな痛み、俺に教えたんだ。嫉妬なんて、格好悪いだろ。