どっちもどっち
望むと望まざるに関わらず、補佐である以上、秀麗と一緒にいるのは仕事のうちなワケで。
一緒にいれば必然的にかなり頻繁にわざわざ秀麗の顔を見に来る清雅と遭遇する機会も多くなる。
そうして顔を合わせれば、喧々囂々と言い争いを繰り広げる二人の日常にも流石に慣れてきた。
「ちょっとアンタまた勝手に!! 人のお弁当に手を出すなんて、みっともないわね?」
「俺の為に作ったものなんだから、俺が食ってやらないと報われないだろう。お前の気持ちを汲んでやってるんだ」
「頼んでないわよ、そんなこと!! そもそもアンタがそうやって、ずけずけずけずけ図々しいことするから私の精神疲労は一向に解消されないのよ!!」
「精神疲労、ね。そんなものが気になるようじゃ官吏は続かないな。早く辞めたらどうだ?」
「辞めないわ! 辞めるわけないでしょ! 第一、気になるんじゃなくて、気に入らないの間違いよ!!」
「それはお互い様だな」
「そう思うんなら、来なきゃいいじゃない! アンタの行動の意味が全く分からないわ」
「おいおい。こんな分かりやすい嫌がらせが分からないようじゃ御史は務まらないぜ?」
「そんなに生き生きと嫌がらせしに来る心理が理解できないって言ってんのよ!! もう、用がないならさっさとどっか行きなさいよ!」
「ま、そうしてやるよ。……おい、タヌキ」
「……んぁ?」
まさか清雅が自分に声をかけてくるとは思っていなかった。
油断しきった顔で見上げると、果てしなくどうでも良さそうな表情で清雅が机案の上の書簡を指差す。
「それ、終わってるなら寄越せ」
「あ。あぁ……良かったよな? お嬢さ」
ん、まで言い切れなかった。
蘇芳が視線を向けたとき、清雅の横顔を見つめる秀麗の表情が見慣れなかった所為だろう。
あれ、ひょっとして、今のは。
まさか、と蘇芳は口を開きかけたが、再び口を噤んだ。
声を掛けられたことに気付いた、のではなく、清雅が振り向いた瞬間。
秀麗がつんと顔を背けて、机案に近づいてきたから。
「これ? ……どうだったかしら」
まるで、清雅を見てなんていなかったと完璧に繕って、書簡を広げる。
蘇芳は見なきゃ良かったのにと後悔したが既に遅く、気付いてしまった。
書かれた文字を追う秀麗の横顔を、じっと見つめる清雅の顔に。
ちょっと待った。いや、もしかして、でも、そんな。
まさか、と再び口を開きかけた蘇芳は、今度も言葉に出せないまま止まった。
「そうね。これについては、もう終わってるわ」
「じゃ、持っていくぞ」
「どうぞ。用はそれだけ?」
「あぁ」
「なら早く出て行きなさいよ」
「言われなくても、俺もいつまでもお前に付き合ってやるほど暇はないんでね」
いつも通りの真っ当でない別れの挨拶を交わし、清雅は先ほどまで秀麗を見つめていた顔など幻だったかのように。
至極彼らしい、凶悪嬉しそうな顔で嫌味を振りまいて背を向けた。
もしかしたらと思ってちらりと目を向けると、ああ、思ったとおり。
秀麗は、清雅の背中をどこか切なげに見つめていた。
これはもう確実だ。目の錯覚でもなんでもなく。
「お嬢さん、実は相当セーガのこと好きだったんだな」
振り向かないまま戸を閉めた清雅の足音が遠ざかるのを聞きながら、至極意外だと言いたい気持ちそのままの口調で言った蘇芳に、秀麗は目を吊り上げた。
「そんな訳ないでしょう!? 大っ嫌いよ、あんなヤツ!!」
本当に、心底嫌そうに叫んだ秀麗に気圧されて、蘇芳は数歩後ずさる。
いや、しかし。
「さっきのセーガを見送る時の顔とか、嫌いな相手見る顔じゃなかったんだけど……」
「気のせいよ。でなきゃ目の錯覚! 違うって言うなら一度お医者にかかることをオススメするわよ!?」
言い募る蘇芳に、秀麗は叩きつけるように断言した。
照れ隠しでもなんでもない、と思わざるを得ない全否定。
だからと言って先ほど見たものが錯覚でなかったのは事実、ではあるのだが。
「……あー、そか。うん、なら……いいや」
「わかってくれたなら良かったわ。ああ、でも本当に、調子が悪いようなら見てもらいなさいね?」
これ以上食い下がっても、別段蘇芳に得があるわけでもないし。
何より、秀麗が無自覚ならばわざわざ自覚させるのも藪蛇だ。
うっかり相思相愛にでもなられて、しかもそのきっかけが自分だなどと、あの過保護な家人に知られでもしたら。
生命の危機に陥るだろう事は想像に難くない。
「んー、ま、大丈夫」
まるで姉か何かのような心配の仕方をする秀麗に、それでもその気持ちは嬉しく、蘇芳はひらひらと手を振って見せた。
ぱた、ぱた、と軽やかな足音が鳴る。
さほど響くわけではないが、男だらけの場所に不釣合いな軽さは、不思議と耳につく。
ちょうど一息ついたところだったし、と清雅は持ち出してきた資料を一束掴んで戸を開けた。
「げ」
「あ」
案の定、目障りな女官吏は室の前を通りかかる所で。
隣におまけも付いてきていたが、それよりも彼女が浮かべた表情が目に付いた。
「人の顔を見るなり、げ、とは、随分失礼だな」
「あら。アンタの顔見て笑うよりは、よっぽど自然な反応じゃない。御史台で見られちゃマズイ人はいないんだし」
「なるほど。場所は弁えている、とでも言うつもりか」
「ええ、その通りよ。で、何か用なの?」
「は、自意識過剰だな。単に資料を返しに行くだけだ」
「あらそう。それは邪魔して悪かったわね。私達もたまたま通りかかっただけだから、ごきげんよう」
一言どころか二言も三言も多くなる、いつも通りのやり取りを、秀麗の方から早々に切り上げて背を向ける。
その背に、ついと視線を向けた直後。
「……何か言いたそうだな」
「あ、分かる?」
まじまじと凝視していた蘇芳が、かけられた言葉に不思議そうに答える。
不機嫌そうな秀麗の背中に目を向けて、ぽろりと零した。
「セーガって、やっぱ、お嬢さんのこと相当好きだよなーっと思ってさ」
まぁ、前からそんな感じはしてたけど。
と一人頷く蘇芳に、清雅にしては珍しく反応が遅れた。
「……は?」
好き? 誰が、誰を?
「俺が……あの女を、か?」
まさか。
問い返すようではない声に、蘇芳が、目を丸くして振り返る。
「え、何? ひょっとしてセーガも無自覚なわけ?」
本気で驚いた様子の蘇芳に、清雅が眉を顰めた。
それはもう、かわいそうなものを見るように、見下した目で。
「無自覚も何も。ありえないな。目端だけは利くと思っていたが、ついにその目も曇ったか」
「ありえないって……」
あんな表情で背中を見つめておいて今更何を。
言いかけた口を咄嗟に閉じた。
「ちょっと、タンタン!? とっとと行くわよー? 今日も仕事は山積みなんだから!」
「要領の悪さは変わらず、か。精々俺の手間を増やしてくれるなよ?」
「言われなくても、自分の仕事は自分で片つけるわよ!」
蘇芳が答えるより先に、清雅が凶悪嬉しそうに嫌味を言って、更に秀麗が言い返す。
いつものことだが。
そうして互いに相手と目が合わない時だけに向けている顔は、会話と裏腹に、甘い。
目を合わせるのはいがみ合いの最中だけなのに。
「なんか……どっちもどっち、なのかなー」
噛み合わない相思相愛。
なんて矛盾する言葉を思いながら、蘇芳は二人の背中を交互に眺めた。