あんまり困らせないで

ああ。ほら、また。ふと目を離すと、君はすぐに僕から離れてしまう。

「千鶴ちゃん」

柔らかいけれど、少しばかり咎める口調で呼ばれ、千鶴は慌てて声のした方を向いた。
いつのまにそんなに離れてしまっていたのか、巡察中の隊士たちの列はだいぶ先を進んでいる。
そして、組を率いる組長である沖田が列を離れて千鶴を手招いていた。

「す、すみません」

慌てて駆け寄ると、沖田が困ったように微笑んだ。

「まあ、父親探しに一所懸命になるのはわかるけど。あんまり離れないようにね。……って、何回言ったかな、僕?」
「ほ、本当にすみません……気をつけます」
「そうしてくれると助かるよ」

半ば諦め混じりに溜息を吐き、沖田は巡察隊の列に加わる。
店に顔を出し、あるいは大きな顔をする不良浪士を威圧しながら、幸いにも今のところ斬り合いなどに遭遇することもなく、順調に巡察は進んでいた。

「え、本当ですか!?」

ふと耳に入る、聞き慣れた少女の嬉しそうな声。
沖田が視線を向けると、千鶴がなにやら恰幅の良い壮年の男に肩を抱かれて話しかけられていた。
隊士には巡察を続けるよう言い置いて、沖田は気配を殺して二人に近づく。

「……すぐにも場所を移すと言っていたからねぇ、今を逃したら、私も行く先までは調べようがないよ」
「で、でも……その、勝手に離れるわけにはいかなくて……せめて一言、」
「大丈夫、本当に目と鼻の先だから。ちょっと行って話しをしたら、すぐ戻ってこれるよ」

聞いたところから判断するに、どうやら男は綱道氏の居場所を知っているからと千鶴をしきりに誘っているようだった。
だが、沖田は目を細める。千鶴にべたべたと触れる手や、言伝すらさせまいとする様子からは、露骨に下心が見て取れる。
と言うのに千鶴はさっぱり気付いていないらしい。父親に会えるかも知れないとなれば、頭が一杯になってしまうのだろうが。
それだけでもあるまい。元々彼女は、少しばかり抜けている部分がある上に、おめでたいくらいのお人よしだ。
沖田は、苦笑を浮かべて一歩踏み出す。

「こうしている間にも、移動してしまうかも知れないよ? さ、早く」
「え? あ、で、でも……」

強く腕を引かれ、千鶴がたたらを踏んだ、その瞬間。

「ちょっと待った」

男に向かって倒れそうになった千鶴の腰を抱き寄せ、沖田はにこやかに言った。
目の前で、男は蒼白になっていく。どうやら、予想通り、ただのかどわかしのようだ。

「沖田さん!?」

今まさにかどわかされそうになっていた張本人は、男の様子にも気付かず、しきりに瞬きを繰り返す。
そして、ようやく自分が心配をかけてしまったのだと思い至った。

「あ、す、すみません。また……あの、でも」
「うん。途中から聞いてたよ。綱道さんが居るかも知れないんでしょ? でも、僕言ったよね? あんまり離れないでね、って」
「……はい。すみません」

勢い込んで釈明しようとするのを遮った沖田の言葉に、千鶴は項垂れる。
素直なのに、思い込んだら一直線な、困った子だ。と沖田は頬を僅かに緩めた。

「それじゃ、その居るかも知れないって場所だけ教えてくれますか? うちの監察方に手を回してもらいますから」

沖田が鋭い視線を投げつけると、男は口篭りながらすぐ傍にある安宿の名を上げて、そそくさと逃げ去っていった。
どうせ実のない情報だろうが、万に一つがあっても困る。記憶の端に留めて、沖田は千鶴に目を向けた。

「わざわざすみません。本当に……私、一つの事に気を取られると、他が疎かになってしまって……」
「本当にそうだね」
「……すみません」

すっかり沈んでしまった千鶴の旋毛を眺めて、沖田は今日何度目かの溜息を吐いた。
彼女と一緒にいると、何故か溜息の回数が異常に増える。と妙におかしく思いながら。

「謝るのはもういいから。巡察に戻らないと、さすがに組長不在ってのは不味いからね」

くすりと笑って、沖田は千鶴の手を握った。
華奢で、滑らかで、温かい手のひら。じんわり伝わる体温を、逃さぬように力を込める。

「へ!? あ、あの……沖田さん!?」

繋がれた手を引かれて小走りになりながら、千鶴は焦り、思わず縋るように沖田の横顔を見つめた。
視線に気付いて振り返る。

「こうしてないと、君、またどこかに行っちゃうでしょ?」
「わ、私……子どもじゃありません!」
「だーめ。僕が心配だから」

からかうように笑いながら、だけど、確かに少し、繋いだ手を強く握った。