好きになってもいいですか

ごめんね。本当は、好きになりたくなかった。

うっかり沖田が零したその言葉は、千鶴にとって、酷く痛むものだった。
一瞬で、溢れ出した涙を、見せたくなくて、ごめんなさいと一言、それさえもみっともない涙声だったけれど、残して走り出した。

けれど、千鶴は一人での外出は許されていない身で、更に地理にも疎く行く当てもない。
結局自室に駆け込んで、襖につっかえ棒をかませて布団にもぐりこむのが精一杯だった。
ごめんなさい、ごめんなさいと何に対してかもわからない謝罪を繰り返しながら、必死に息を殺して泣いていると、襖を叩く音がした。

「千鶴ちゃん」

かけられた声は優しげで、千鶴は肩を震わせた。
ああ、なんてひどい人だろう。好きになりたくないのなら、構わないでくれればいいのに。期待させないで欲しいのに。
がたりと襖が音を立てる。次いで、ちょっと呆れたような溜息。

「千鶴ちゃん、ここ、開けてくれないかな?」

じゃないと、蹴倒すよ?とにこやかに続けられ、さすがにそれは不味いと、慌ててつっかえ棒を外した。
すぐに開けられた隙間から、沖田が身を滑り込ませる。
それは千鶴が驚くほど近い距離になって、咄嗟に離れようと身体を捩った瞬間、沖田の腕に抱きこまれた。

「お、おき、沖田さんっ……はな、して……くださいっ」

本当に、なんてひどい人。これ以上好きになってしまっても、報われなくて辛いだけなのに。
一度は収まっていた涙が、堪えきれずに再び零れ出し、沖田の着物を濡らしていく。

「逃げないで、ちゃんと僕の話を聞いてくれる?」

涙声の訴えに、沖田は千鶴の顔を覗き込んで真剣な表情で告げる。
深い、翡翠の瞳に囚われそうで焦り、千鶴は何度も頷いた。
ほんとかなぁ、と苦笑しつつも、沖田は腕を緩め、襖を背にして座り込む。

「ご、ごめんなさい……」
「それは何に対しての"ごめんなさい"?」
「……」

黙り込む千鶴の頭を軽く撫で、ぐしゃぐしゃになってしまった髪を軽く梳き、沖田は溜息混じりに苦笑を浮かべた。

「君さ、人の話はちゃんと最後まで聞きましょう。って言われた事ない?」
「……へ?」

不意にかけられたのは問いかけで、その意図がわからずに、間抜けな声が漏れた。

「僕は、好きになりたくなかった、って言ったんだよ?」

千鶴はこくりと頷く。そう聞いたから、望みがないと断言されてしまったから。
悲しみに耐えるように顔を歪める千鶴の頬を、沖田がぎゅっと抓った。

「いっ」
「だから、ちゃんと最後まで聞こうよ。僕は、過去形で言ったんだよ? まだ解らない?」

意地悪な、猫のような笑みで、千鶴の顔を覗き込む。
けれど、どこか、少し。柔らかいような、頬が赤いような。気が、しなくもない。

「え? え? ……あれ? え?」

好きに、なりたくなかった。けど?

「それって……まさか、もしかして?」

あれ、と、え、を繰り返しながら、徐々に赤く染まっていく顔を眺めて、沖田は鮮やかに微笑んだ。

「鈍いよね、君って。そういう所も、可愛いんだけど」

ある意味、トドメだった。真っ赤な顔を俯かせて黙り込んだ千鶴の頭をしばらく撫で、安心したように沖田が立ち上がる。
のに気付いた千鶴は、無意識に袖を掴んで引き止めていた。

「……何かな? ひょっとして、僕と離れたくないとか? 大胆だね」
「ち、ちち、違います! そうじゃなくて、その、あの!!」

からかう沖田に必死に否定しながらも、袖を持つ手は離さない。その、無意識の行動が、沖田の目には愛らしく映る。

「うん。何?」

言ってごらん、と優しげに促すと、ようやく決心がついたのか、千鶴がまっすぐに沖田の目を見つめた。
じゃあ、と告げられた言葉に、沖田はこれまでで一番深くて長い溜息を吐いた。

「ほんっとうに、君って鈍いよね……」
「え? あ、あの……だ、だめですか?」

不安そうに、うなだれていく頭を軽く叩き、沖田は、今はそれでいいか、と苦笑する。


「もちろん、いいよ」

それって、もう好きになってるって事なんじゃないかな、とはまだ言わないでおこう。