孤独だった頃の傷跡

非番の日に、他の隊士達は思い思いの気晴らしに出掛ける者が多い中、大石は退屈を持て余していた。
と言って、島原に繰り出すというのも億劫で、結局だらだらと縁側で無為に時間を過ごすばかり。
風は強くなく、日差しも弱くはない程度。柱に背を預け、大石は一見だらしなく眠っているように見える。

きぃ、と微かに床が鳴き、大石は目を閉じたまま気配を探った。
子どものようにとは言わないが、随分と軽い足音の主には心当たりがある。
その人物は、足音を忍ばせているつもりなのだろうが、随分と浮かれた様子で手の届くほどの距離に屈みこんだ。

「ふふっ……大石さんがこんなトコで寝てるなんて、めずらしいなぁ」

声が、すぐ傍で聞こえる。相変わらず、新撰組隊士の癖に、迂闊な女だ。
大石がそのまま狸寝入りを続けていると、そっと手を伸ばしてきた。
まあ、相手がこの女ならば万に一つも暗殺する気でもないだろうと、何をされるか待ってみると、

「わ。綺麗な髪。手入れなんてしてなさそうなのに、うらやましい……」

さらりと前髪をいじられた。手の温もりが、気配が、すぐそこにある。
と、思った時には考えるより先に体が動いていた。

「きゃっ」
「……本当に寝てるかもわからないのに、こんな近くに寄ってくるなんて……おまえ、やっぱり迂闊過ぎるんじゃない?」

にやりと笑いながら目を開くと、予想以上に近く、桜庭鈴花の顔があった。
掴んだ手首は女にしては鍛えてあるのだろうが、大石が少しばかり本気で力を込めれば、折れてしまいそうに細い。
そして、荒事に慣れているはずなのに、妙に白く滑らかな肌が、女であることを強烈に意識させる。

「お、お、起きてたんですかっ!? いつから……っ」
「ああ。おまえが来たときからだけど」
「最初からじゃないですか!」
「そうだね」

ひどいです、吃驚しました。と不満そうに頬を朱に染めて愚痴を零す鈴花を眺め、満足げに大石は笑みを浮かべた。
退屈だったことなど、すっかり忘れてしまうほどに、この女の反応は一々面白い。

「あの、大石さん……」
「何?」

しばらくふくれ顔だった鈴花が、おずおずと声をかけてくる。
今度は何を言い出すのかとどこか楽しみに思いながら見つめると、ふと視線を逸らして呟いた。

「手……離してもらえませんか?」
「ああ」

そういえば。すっかり忘れていた。触り心地や体温が心地よくて離れがたい、など奇妙な感覚だ。
だが、目を向けると、鈴花は困り顔で、居心地悪そうに掴まれた手を見つめている。

「俺が離さなきゃいけない理由はないね」

そう答えたらどんな顔をするか。
くす、と笑うと、思ったとおりの情けない表情。

「ええぇ!? いえ、でも、あの、離さない理由も、ないんじゃないかと、思うんですけどっ」
「離したくないってのは十分な理由なんじゃない?」

ついつい、もっとからかって、いじめて、怯えさせてみたくなる。
面白いから、と前置けば嘘じゃない答えを返すと、びくっと肩を震わせた。
ああ、もう少しかな。ふ、と笑みを深めた瞬間。

「桜庭……と、大石か」

大石の背後から、僅かばかりの殺気交じりの声がかかる。
顔をあげた鈴花の表情が、一気に緩んだ。ああ、つまらない。

「土方さん」

まだ新撰組を辞めるつもりはないし、と少しばかりの名残を惜しみながら、大石は立ち上がる鈴花の腕を手放した。
どうせ、懲りない彼女はまた迂闊に近づいてくるだろうから。

「こんにちは、副長」

面倒くさそうに振り仰いだ大石が、貼り付けたような笑みを向けると、土方は不愉快そうに眉間の皺を深めた。
大石の顔が見えていない鈴花は、土方の不機嫌が自分の所為かと咄嗟に身構える。

「……桜庭、お前にひとつ使いを頼みたいのだが……手は空いているか」

溜息一つ吐いて大石から視線を外し、土方はそう告げた。
肩透かしを食らった気分で一瞬ぽかんとした鈴花は、すぐに気を取り直してしゃきっと背筋を伸ばして答えた。

「はい、大丈夫です!」
「では俺の部屋へ行くぞ」
「はい!」

踵を返して歩き出した土方を追って、鈴花は少し小走りになる。
が、途中で足を止めて振り向いた。

「大石さん」

まさかこの期に及んで振り向くとは思わなかった。大石は顔だけで振り返る。

「いくら日差しが温かくても、そんな所で寝てると、風邪引いちゃいますよ。気をつけてくださいね。「おい、何してやがる」
 あ、すみません! ……それじゃ、失礼します」

土方の声にもわざわざ振り返って頭を下げ、もう一度大石に向かってもお辞儀をしてから、忙しく駆けていった。
律儀な女に、大石の頬が緩む。
本当に変な女だ、と言わずとも、誰もが思っていることだろう。
くつくつと喉で笑いながら、元々そうしていたように柱にもたれて目を閉じた。


つい先ほどまでは、退屈凌ぎだったはずの昼寝が、今は退屈で仕方なかった。
ああ、なんてつまらない。