俺以外見るんじゃねぇ

そんな言葉と同時に降ってきた大きな手のひらが、ひとみの視界を塞いだ。
その声と手の持ち主は、もちろん同一人物で、ひとみにとって良く知った人物でもある。
誰がどう聞いても嫉妬しているようにしか聞こえない声と、その言葉が真実だと行動でまで示した手。
くすぐったいような、嬉しいような、でも困るような。
複雑な苦笑を浮かべ、ひとみは視界を塞ぐ腕に触れながら言った。

「これじゃ、疾斗の顔も見えないよ」
「う」

考えてなかったとばかりに呻き、しばし逡巡する。
だが、次の手を打たれる前にとひとみは更に言葉を重ねた。

「それに、疾斗が見てるのと同じ景色を見ることだって出来ないじゃない」
「え? う、あー」
「私は、そんなの寂しいな」

囁くように零したダメ押しの一言に、渋々と言った様子で、手のひらが離れていく。

「ずりぃ」

拗ねた声がひどく甘えた調子だったから、ひとみはつい、頬を緩めた。
わざとゆっくり振り向き、少しばかり上目に見上げると、思いがけず真剣な視線に囚われた。

どうしたの、と問えずに黙り込んだひとみの頬を手のひらで包み、口付けしそうなほど顔を近づける。
瞳に映る互いの姿が見える距離。
疾斗は、そこに自分の顔が映っているのを見て、ようやく安心したように笑う。
そして唐突に手を離し、ひとみの頬に唇を寄せた。

「な、な、」

触れられた頬を押さえ、顔を赤く染めるひとみの頭をわしゃわしゃと少しばかり乱暴に撫でて、疾斗はにかっと邪気の無い笑みを見せる。

「しょーがないからガマンする」

本当は、と声を低めて、ひとみを己の胸の中に閉じ込めた。
苦しくないように、簡単に解けてしまわないように。
加減しながら抱きしめると、華奢なひとみはすっぽりと疾斗の体の影に隠れてしまう。

「ホントは、お前が他の男に見られんのも嫌だし、他の男を見るのも嫌だけど……」

顔が見えないから、疾斗は悔しそうに顔を歪め、無理やりそれを笑顔に押し込めた。

「お前は明るいトコで笑ってるのが一番だから、ガマンする。
 そのかわり、オレ以外の男を見るときは、ぜーったいオレのこと思い出すこと! 忘れたらペナルティだからな!?」

とても複雑な心情が、その時ひとみには手に取るように解ってしまって、苦笑を浮かべる事しか出来なかった。
忘れたらって、どうやって確かめるの?
なんて尋ねてもよかったけれど、それ以上に、切なくて声にならない。
忘れるわけない。誰を見ても、何を見ても、心を占める一番は、鷹島疾斗以外ないのに。

「……わかってよ」

思わず零れていた言葉に、疾斗だけでなく、ひとみ自身も驚いた。
けれど、一度口にした思いは、歯止めを失い止め処なくあふれ出す。

「わ、私だって……本当は、疾斗が他の女の人に見られるのも、他の女の人を見るのも……嫌だよ!!
 それに、私は他の男の人を見たいなんて思わないよ! 疾斗だけなのに……どうして、わかってくれないの!!」

普段、ひとみ自身見ないフリをしてきた強い感情が、涙と共に零れ落ちる。
己の胸に縋って泣く、今まで見たことのない取り乱した様子のひとみを、疾斗は壊れ物に触れるように抱きしめた。

知らなかった。こんなにも自分を思う彼女のことを。気付かせてくれなかったのかも知れないが。
それでも、疾斗は今、素直に嬉しいと思った。

「……ごめんな。信じてても、不安、なんてお前も同じだったんだよな」

真摯な言葉。ひとみは、疾斗の胸に頭を押し付けたまま軽く頷く。

「オレも約束するよ。どんな時でも、絶対、ひとみのことを想う」
「……私も。絶対、疾斗のことを……想うよ」

疾斗は、ひとみの耳にだけ届くように誓いを囁いた。
おずおずと、涙声のまま、微かに微笑むようにひとみも誓う。

ひとみがようやく顔をあげ、互いに顔を見合わせた。
泣き笑いに失敗したような、微妙な表情。
似たもの同士と笑いあい、二人はそっと唇を寄せた。