どうやら、君には依存性があるらしい

笑いながら言われたその言葉に、ひとみは思わず抱えていた数本のペットボトルを落としてしまった。

「あぁ、大丈夫? ごめんね、驚かせちゃったみたいで」

慌ててそれを拾い上げ、人の良い微笑みを浮かべるのは、彼女が読者ライターとして取材しているレーシングチーム、オングストロームのメカニック担当、岩戸和浩。
物腰柔らかく、いかにも温厚な人柄で、メンバーからの信頼も厚い人物だ。
その岩戸が、ひとみに対して口にした不可解な言葉。

依存性とは、一体どういう意味なのか。と、ようやく思考停止状態から回復したひとみは、礼を言いながらペットボトルを受け取り、じっと視線を注いだ。
ひとみの訴えるような眼差しに、岩戸は苦笑しつつ言葉を続ける。

「いやね、君が来るようになってから、疾斗のやつが随分調子いいんだけどさ。大体君と会えるのって週末でしょう?」

そこまでを聞いた時点で既にひとみにとっては寝耳に水だった。
岩戸が言うのは、オングストロームのテストドライバー、鷹島疾斗のこと。
初めて挨拶した時から、つねに明るく元気な、少年のようなところのある彼には、何かと声をかけられてはいたけれど、
それと調子の良し悪しが関係あるとは、ひとみにはとても思えない。
だが、ひとみが目を丸くしているのも承知の上で、どこか楽しそうに言い募る。

「だから、日曜は絶好調なんだけど、だんだん元気がなくなってくるんだよね。ぼーっとする時間も増えていくし」
「そ、そうなんですか……」

でも、それって別に私が関係してるとは限らないんじゃ。とは言わなかった。否、言えなかった。

「カズさーん! っと、ひとみじゃーん!! 来てたのかぁ」

人懐っこい子犬がしっぽを振って飛びつくような勢いで、今まさに噂されていた張本人が駆け寄ってきたから。
そして、ひとみが抱えているペットボトルをひょいひょいと奪い取って隣を歩き出す。
何も言わずに荷物を取り上げられてしまい、思わず呼び止めると

「ん? なんだよー、まさかコレ全部お前一人で飲むワケじゃないだろ? ってーことは、差し入れだろ? なら、オレがもらってもいーよな!」

大げさなくらいコロコロと表情を変えながら続け、ひとみを黙らせるには効果抜群の眩しいくらいの満面の笑顔。
もちろんです、と俯きがちに答えるのが精一杯だった。
そんなやりとりを見ていた岩戸が、くすりと笑い、ひとみにだけ聞こえるように「ほらね」と囁いた。

「あー、なんだよカズさん! オレに聞かせられないようなこと、コイツと話してたのかよー!?」
「さあね。それじゃ、僕は加賀見さんと航河に飲み物でも持っていこうかな」

目敏く内緒話に気付いた疾斗が食いつくのを、笑顔でさらりとかわし、岩戸は、ペットボトルを抜き取って奥へと去っていった。

不服そうな表情で見送った疾斗は、次の狙いを逃がすまいと片腕で捕まえた。

「きゃ!?」
「ほら吐けー! カズさんと何話してたんだー?」
「え、いえ、あの、その……っ」

逞しい腕が、緩くとはいえ首にかけられている。その密着度は、まるで後ろから抱きしめられているかのようで。
ひとみは聞かれた内容が話しにくい以上に、緊張でまともに答えられそうになかった。

「そんなにオレに聞かれたくないことなのかよ」

ふと、いつもよりも若干低いトーンで呟かれ、ひとみは思わず後ろを振り仰いだ。
不貞腐れた子どものような、といったらまた機嫌を曲げてしまうのだろうか。
けれど、ひとみには、その表情はなんだか可愛げのあるものに映って、つい、口元が緩んでしまった。

「な、なんで笑うんだよ!?」
「ご、ごめんなさい。でも、まるで拗ねてるみたいだなって」

くすりと笑み零すひとみを抱き寄せるようになった腕はそのままに、顔を背けて呟いた。

「実際拗ねてるんだよ」

ぶー、とまで言われ、ひとみは更に笑ってしまう。
かわいい人、なんて男性に使う言葉じゃないかも知れないけれど、やっぱり。

「……岩戸さんがね、私には依存性があるって」

からかわれるのを承知で、でもあんまり拗ねさせても可哀想だしと、ひとみは白状する。

その流れを聞いた疾斗は、困ったような照れたような微妙な笑顔を浮かべ、頬を掻いた。
けれど、その表情はどことなく嬉しそうにも見える。

「やっぱカズさんにはバレバレなんだなぁ。マジでさ、お前の顔見ると、元気出るんだ。
 で、次の週末が待ち遠しくってさ。お前に逢いたいなーって思うようになって……それって、中毒状態ってことだよな」

からりと、清々しいくらいにまっすぐに笑う。太陽のような、強い光を含んだ眼が、ひとみを捉えて煌いた。

「ひとみ中毒。依存性は極めて高く、一度ハマると抜けられません。ってな!」

ぎゅっと強く抱きしめられ、ひとみが顔を林檎もびっくりの赤さに染めたまさにその瞬間。

「おい馬鹿。忘れ物番長にプラスして遅刻大王の称号まで取るつもりか? 真昼間っから盛ってんじゃねー」

と、極めて冷静な声がかけられ、ひとみは慌てて疾斗の腕から脱出する。
離れてしまった温もりに、あ、と残念そうな声を零した疾斗は、気を取り直して空気をぶち壊した犯人を睨みつけた。

「てめー、アル! 空気読めよなー! そんなんだから、顔狙いの女しか寄ってこないんだぜ」
「うるせー。別に女なんぞいるか。万年常春頭のお前に気にされる筋合いはない」
「あー、アルってば、ひとみみたいな可愛い彼女を持った事がないからって、負け惜しみはカッコ悪いなー」
「負け惜しみじゃねー」

実にテンポのよいやりとりに笑いを堪え切れなかったひとみが吹き出して、疾斗がむっとした顔で振り向いた。

「お前も笑ってんじゃねー!」
「ご、ごめんなさい」

笑いながらそう答え、ひとみはようやく気付いて首を傾げた。

「そう言えば、時間は大丈夫なんですか?」



「あ」

完全に忘れてました、と言うより如実に物語る声をあげ、疾斗は慌てて駆け出した。
その背中に向かって中沢が、ったく馬鹿が、と呆れ混じりに笑み、ひとみが笑顔で声をかける。

「今日もがんばってくださいね!」
「おう! 任せとけっ!!」