花冷え

さらさらと、滑るように雨が降っている。
濡れて重く頭を垂れる枝先の花たち。
私は窓の縁に腕を置き、ひやりとした空気に身を任せる。

「風邪ひくなよ?」
背後から掛けられた声に、顔だけを向けた。 宿のベッドの上、気だるげに寝そべったまま書物を開くカイの姿。 時折、無意識なのだろう左肩を撫でている。 何も言わずに再び窓の外へ視線を向けた。 雨粒の重さに負けて、花びらが零れていく。 花冷え、あるいは、花散らしと言うのだろうか。 肌寒さに肩を抱いた。
「寒いなら閉めればいいだろ」
小さく首を横に振る。
「雨……見たいから」
カイの忠告はもっともだ。 けれど私にとって、雨はこんなに近くなかった。
「ったく……」
呆れ、と言うより笑みの混じった声音。 床板が軋み、ふわりと温かさに包まれた。 木綿の柔らかな肌触りと、それを隔てて伝わる体温。 私をすっぽり包んでしまう、カイの大きな身体。
「ありがとう」
呟いた言葉に返事はなかった。 無言になると、さらさらと雨音だけが響く。 階下から人の気配と、食器のぶつかる音が聞こえてきた。 日の高さは雲に遮られてわからないけれど。
「もう夕飯時みたいだな」
言おうとしたことを先取りされた。 頷いた私の頭を撫でて、カイが窓を閉めた。 不服を申し立てようと振り返る私に、カイの微笑。
「この時期の雨は長引かない」
寂しげなそれに、私は言葉を失う。 また、カイが左肩を撫でた。 聞いてはいけない気がして俯く。
「明朝には出立だ。さっさと飯食って寝とけ」
頭上に聞こえた声音は、いつもと変わらない明るさだったけれど。 リネンを剥がれて扉へ押しやられる。
「先に行ってろ」
「……カイは?」
振り仰ぐと、見慣れた笑顔があった。
「すぐに行くよ」
それで私は安堵した。 閉じた扉に背を向けて歩き出す。 遠くなった雨音。 こんな休みも、たまにはいい。