「初めての口紅」
別に、今日は誕生日でも記念日でも、何でもなかったはずだ。
差し出された可愛らしいラッピングを凝視したまま、私はしばらく動けなかった。
「受け取ってもらえないと、僕、すごく格好悪いんだけど……」
苦笑しながら言われたから、反射的にうっかり受け取ってしまった。
のに、彼は嬉しそうに笑う。どうして。
「あの……なんで?」
本当に、不思議で仕方ない。
首を傾げた私を、くすぐったいくらい優しく見つめて、ちょっとだけ照れくさそうに頬をかく。
「たまたま、目に留まったんだ。その……開けてみてくれないかな」
「あ。う、うん」
手のひらにすっぽり収まる小さなもの。かなり種類は絞られるけれど、さっぱり思いつかない。
綺麗な包装紙を破かないように剥いだら、今度は小さな箱。
開けて、手の上でひっくり返す。
「……これ……口紅?」
お洒落なデザインの、間違いなく女性用化粧品。
キャップを外して少し出してみた。
「似合うだろうなって」
恥ずかしいような、眩しいような視線を感じる。とても今はそっちを向けそうにない。
自然と目は手の中の口紅に。
「……かわいい」
決して華美じゃない。どころか、むしろ控えめな可愛らしいピンク。
メイクなんかにさほど興味のなかった私でも、思わず心が弾んでしまう。
「つけて見せてくれる?」
「え、あ…………うん」
正直、戸惑ったけれど。手の中できらきらに私を誘惑するピンクに抗えなくて、おずおずと頷いた。
鞄の中からコンパクトミラーを取り出して、覗き込む。
色気とか化粧っ気とかにはさっぱり縁のなさそうな、見慣れたすっぴん。
遠慮がちに唇に口紅を乗せて、軽くすり合わせた。
ただ、それだけのはずなのに。
「うわぁ……」
彼の零したため息が気恥ずかしい。
ほんのり赤く染まった頬と、きらきら可愛いピンクの唇。
まるで自分じゃないみたいで。
「思った以上に似合ってる。やっぱり、買ってよかった」
「あ、ありがと……」
じっと見つめられて、くすぐったくて顔を見ないようにミラーを鞄に戻す。
ただ、口紅を塗っただけなのに。
「……あの、さ」
「ん?」
今までの自分より、ずっと女の子になった気がするのはどうしてなんだろう。
彼が近づいて、すごくすごく恥ずかしくて、自然と瞼を閉じてしまった。
ああ。次に目を開けたら、彼の唇のピンクを笑っちゃうかな。もしかして。