「とおりゃんせ」

作:あやどりみつき 2009/09/13
イナリ:19 トオル:31 兄:14 祖母:11



 祖母「赤い鳥居のその向こう。長く続く石段の先。古くからある、お稲荷神社。
   日暮れになると、決まってそこから唄が聞こえる」
イナリ「……とーおりゃんせ、とおりゃんせ……」
 祖母「鳥居をくぐってお社に行き、帰ってきた子はおらん。あの神社で遊んだらいかんよ」
イナリ「……いきはよいよい、かえりはこわい……」

トオル「ねぇ。やめようよ、兄ちゃん。ばあちゃんが、この神社で遊んだらいかんって」
  兄「なんだよ、トオル。怖いのか?」
トオル「そ、そんなことないよ!別に、怖くなんか」
  兄「だったらいいだろ。早く行こうぜ」
イナリ「……とーおりゃんせ、とおりゃんせ……」
トオル「え?」
  兄「どうした?」
トオル「今、歌が……」
  兄「歌ぁ? ……何にも聞こえないぜ。ははーん、やっぱり怖いんだろ。帰るかぁ?」
トオル「こ、怖くなんかないってば!」
     石段を駆け上る足音。
イナリ「……人間の、子どもだ……」

  兄「ほら、やっぱり何もないじゃん」
トオル「うん……」
  兄「よーし、んじゃ遊ぼうぜ!これだけ広けりゃ文句言われないだろ」
     サッカーの練習をしていたが、トオルの蹴ったボールが遠くの茂みに入ってしまう
トオル「あ!」
  兄「何やってんだよ、ヘタクソー」
トオル「ご、ごめん」
  兄「ったく、しょーがねーなぁ」
     ボールを取りに、兄が走り去り、茂みをかきわける
  兄「えーっと、こっちの木のあたりに……」
イナリ「なぁ」
  兄「ん? ひっ、おばけーーっ!!」
     兄が走って逃げる
トオル「え!?ちょ、ちょっと待ってよ。兄ちゃん」
イナリ「なぁ」
トオル「ひぇっ!……って、狐の……お面?」
イナリ「なぁ……お前」
トオル「な、何?」
イナリ「お前、おいらを退治しに来たのか?」
トオル「たいじ?ち、ちがうよ」
イナリ「ほんとか? ……なら、おいらと遊ぼう!」
トオル「う、うん。いいけど……あ、でも夕方までだよ」
イナリ「そうか……わかった。約束だ」
トオル「それじゃあ、何して遊ぼうか」
イナリ「そうだな、何して遊ぼうか!」

イナリ「――けんけん。影踏み。かくれんぼ。二人、夢中で遊んだ日暮。
    山の向こうにお天道様が隠れたら。帰らなきゃ」

トオル「あー。もう、夕方だね」
イナリ「……そうだなぁ あーあ。残念だ……もっともっと、お前と一緒に遊びたかったなぁ……」
トオル「じゃあさ、明日も遊ぼうよ。僕、また来るから」
イナリ「明日も、か……」トオル「うん。やくそ」
イナリ「ダメだ!!」
トオル「……え?」
イナリ「いいんだ。お前は優しいな……おいら、こんなに楽しかったのは初めてだった。
    だから……もう、来ちゃあダメだ」
     イナリ、走り出す
トオル「あ、名前! 僕、トオルって言うんだ!」
     イナリ、立ち止まり振り向いて
イナリ「おいらはイナリ キツネのイナリさ。こんこん、こーん」
     足音が遠ざかり、カラスの鳴き声が響く
トオル「……帰らなきゃ」
     とぼとぼ歩き出すトオル。石段を下る。遠くから近づく足音
  兄「トオルー!」
トオル「あ、兄ちゃん」
 祖母「トオル……無事で良かった
トオル「ばあちゃんまで」
 祖母「お前が狐に連れて行かれるんじゃないかと、気が気じゃなかったよ」
トオル「狐って……」
 祖母「昔からこのお社には、狐が出るんだよ。子どもが遊ぶ約束をすると、その子をどこかに連れて行く、とね」
トオル「……僕、約束……」
 祖母「したのかい!?」
トオル「ううん……約束って、言おうとしたら……ダメだって」
 祖母「狐が、ダメだって、そう言ったのかい?」
トオル「……うん。あの子が、イナリが狐だなんて……わからないけど……でも、もう来ちゃダメだって」
 祖母「そうかい……狐も、優しい子だったんだね」
トオル「ばあちゃん、僕……」
 祖母「来るなって言われたんなら、そうしておやり」
トオル「…………うん」
 祖母「さ、帰ろうか」
トオル「うん。……そうだ、兄ちゃんひどいんだよ。僕を置いて一人だけ逃げちゃってさ」
  兄「そ、そういうトオルは腰抜かしてたじゃねーか」
トオル「兄ちゃんがすごい叫んだからだよ」
  兄「オレのせいかよ」
 祖母「ほらほら、二人ともケンカしないで帰ってご飯にしようね」
トオル「うん!僕お腹ペコペコー」
  兄「のんきなやつ」
イナリ「……ありがとう、トオル。元気でな」

 祖母「今もどこかの神社では、日暮れになると唄が聞こえる」
イナリ「……とーおりゃんせ、とおりゃんせ……」